2023年2月25日土曜日

昔、害獣対策で自衛隊が出動してた

 害獣被害の報道が絶えない近年
千葉県議会の超党派でつくる有害鳥獣対策推進議員連盟が、防衛相に次のような陳情をした
陳情書では、自衛隊の退職者について
社会貢献への意識が高く、野外活動経験が豊富で、高度な技術を持つとして
鳥獣被害防止活動への参加を促す広報活動の充実を求めた
また、現役隊員による鳥獣対策への組織的な支援も検討するよう求めている
組織的な支援とは、集団で猟を行う際に獲物を追い立てる勢子(せこ)役や、輸送支援などを期待している
自衛隊の小銃で害獣を駆除するわけではない

ところが、過去に害獣対策で自衛隊が出動
武器が使われた事例もいくつか存在
F-86戦闘機まで投入された北海道日高地方のトド駆除が有名だが、戦車まで出動し、小中学校の生徒が自衛隊車両で送迎され、自衛隊も駆除に駆り出された熊害事件も

北海道標津町の古多糠部落(集落)に自衛隊が進駐する様子を伝えた週刊読売(1962年11月4日号)の記事の一節
〈戦車が二台、ものすごい土煙をあげて進み、そのあとに広瀬二郎一尉がひきいる第二十七普通科連隊の精鋭二十四人がつづいた。部隊は完全武装し、機動力はトラック四台、ジープ一台。本隊と結ぶ無線機は、ひっきりなしに鳴りつづけた。部隊の到着を、部落は不気味な静寂をもって迎えた。部落民は、まだ日のあるうちに畑仕事を切りあげ、しめきった家のなかで息を殺していた。
「まるで戒厳令だなあ」
 広瀬一尉らは、クマの襲撃にそなえ、部落の守備隊として進駐してきたのである〉

1962年は、道東でヒグマ被害が相次いだ年
十勝岳が6月に噴火したことで道東の広範囲が降灰に見舞われ、夏の長雨もあって、クマの食料が不足していたと見られる
特に標津町では秋に入ってクマ被害が多発しており、酪農を主要産業とする標津町は熊害対策本部を設置し、根室支庁を通じて陸上自衛隊第5師団の災害派遣を要請

最近でも、2019年から標茶町や厚岸町で家畜に被害を出しているOSO18と呼ばれるヒグマが話題に
・・・賢いって
しかし、OSO18は単独のヒグマであるのに対して、1962年の標津町の事例では複数のヒグマが地域に出没して家畜を襲っていた
毎日のようにクマを撃ったと報告があるのに家畜に被害が出る状況だった
OSO18との最大の違いは、人的被害も生じていたこと
生涯で63頭のクマを仕留めた73歳の男性は、9/24にワナの見回りに銃を持って出かけたところ、翌日に背後から襲われて亡くなっているのが発見された
翌月、仇討ちに出た男性の息子も背後から襲われ負傷
これもベテランのアイヌの猟師も市街地に近い場所で襲われて亡くなるなど、駆除に関わっていた猟師2名が亡くなった

当初、派遣された自衛隊部隊は学童の護送や地域のパトロール活動のみで、クマに対する武器の使用は狩猟法(現:鳥獣保護管理法)を盾に否定的だった
しかし、地域からの人の生命より法律がだいじなのか、との声によって、応援部隊の到着を待ってクマ狩りを展開することになったと

害獣相手に自衛隊の武器が使用できるか?と疑問に思われる方もいるかもしれない
自衛隊法第94条では災害派遣時の自衛官の権限を定めている
これは警察官の職務執行における手段を定めた警察官職務執行法に準じていて
警察官がその場にいない場合
人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞のある天災、事変、工作物の損壊、交通事故、危険物の爆発、狂犬、奔馬の類等の出現、極端な雑踏等危険な事態がある場合」(強調部筆者)においては、「危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる
としており、これに則った対応を取ったと考えられる
自衛隊によるクマ狩りはこれが初めてではない
1961/9/5北海道松前地方でのクマによる農業被害を受けて、海上自衛隊函館基地隊から隊員3名と猟銃5丁が出動して5日間のクマ狩りが実施された
60年代は自衛隊によるクマ狩りが度々行われてた

帯広から増援で駆け付けた安藤一尉も加わって作戦会議が行われ、毒入りの豚肉が出没予想地点に撒かれた
そして湿原に埋設した毒入り豚肉が掘り起こされているのが確認されると、戦車1両と自衛隊員25名が周囲を包囲、捜索し、毒で苦しみ川で水を飲んでいるクマを発見
湿地帯を腹ばいで進み、クマまで30メートルに接近すると、安藤一尉と古多糠農協秘書長が立ち上がりライフルと散弾銃でクマを射撃
頭部に4発の銃弾を浴びて倒れたクマは250kg以上もある大物だった

こうした自衛隊による駆除の他、町ではクマ1頭の駆除につき2¥万の報奨金を出していた
当時の国家公務員(キャリア)の大卒初任給が¥1万5,700円だから、現在の価値にすれば¥30万近くになり、それだけ地域の切迫感が窺える
この報奨金、トラックが飛び出してきたクマを跳ねて殺してしまった事例でも支払われ、思わぬ大金に運転手が喜んだ

毎日新聞社会部による『日本の動物記』によれば
この1962年の標津町での熊害は、猟師2名、牛18頭、馬5頭、羊3頭が殺されたとされるが
資料により被害頭数にかなりのブレがある
負傷した家畜ははるかに多いだろう
最終的に猟師や自衛隊による捕殺や交通事故等によって25頭捕殺され、熊害事件は一旦は幕引きとなった

この熊害事件を受け、陸上自衛隊で北海道全域を所管する北部方面隊のトップである方面総監は、クマ対策の研究を指示している
学識者や自治体関係者、報道関係者らの協力、動物園での実験も行うなどの調査研究を経て、隊員向けの冊子として『熊百訓』が制作・配布されている

60年代に各地を騒がせたクマ騒動も、狩猟者登録数が最大に達した70年代以降は落ち着きを見せる
ところが半世紀以上の時を経て、再び自衛隊に対する害獣対策への協力要請が来たわけだが、当時と今では自衛隊を取り巻く環境は大きく変化している
創設から間もない頃の自衛隊といえば、愛される自衛隊を標榜し、田植えの手伝いや公共工事も請け負っていた
しかし、現在は任務の多様化によって、自衛隊の現場に負担がかかっていることが伝えられている

・・・今の5.56mm弾では・・・
大型獣なら30-06くらいないと・・・

今日も~
紅梅

18~19日にツボミが膨らんだ
寒くなったんで
開くのは?

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