2023年2月7日火曜日

日本人は不幸?

2020/1/5マレーシアの英字新聞ザ・スターに、モナシュ大学で行われた
幸せの秘訣は何か、愛と意味のある関係性 という調査報告の記事が
この調査でマレーシア人の67%が自分を幸福だ、と感じ
回答者の90%が家族が非常に大事だ、と答えてる
面白いのは、収入が低い人の方が幸福を感じる割合が高かった
人間関係を重視する点でハーバード大学の研究の調査結果と一致

イギリスの慈善団体であるバーキー財団(Varkey Foundation)が世界20カ国の15~21歳の若者2万人を対象に行った2017年の幸福度調査
(この調査対象には発展途上国を入れており、ユニセフなどが行っている調査とはまたひと味違った結果になってる)
1位インドネシアの若者の幸福度は90%
この調査が興味深いのは、先進国より発展途上国の若者の方が幸福度は高い、ということ
ヨーロッパの若者は世界平均と同じような幸福レベル
18位のトルコでは、50%が大体幸せ、と答えてる
韓国は29%、日本は最下位で28%
今の生活に満足している(40%)、または非常に満足している(5%)と答えた日本の若者は全体の半数未満
韓国以外のどの国の若者よりも自分が不幸である、と考える若者が多かった

驚くのは日本の若者が日本は住むのに良い場所だ、と答えている
日本はいい国だ、と信じているからこそ絶望感がますます深まってしまう?
経済的に豊かである国が必ずしも幸福とリンクしているわけでは・・・
なぜ日本の若者は、自分が不幸だ、と感じてしまうの?

多少衰えたとはいえ、日本はアジアの中でも先進国
世界有数の経済大国
国民皆保険があり、生活保護制度もある
治安はマレーシアよりずっと良いし、医療体制や公共交通機関も整っていて
物価も比較的安い
なのに日本の若者は、自分は恵まれていない、不幸に生まれた、お金がないから子どもはとても産めません

海外駐在員への調査でも、なぜか日本はマレーシアに比べて住みにくい国、という結果
CNBCが1万2000人の駐在員を対象に57都市を調査した2021年の住みやすさランキング
住みやすい都市の第1位は、マレーシアの首都クアラルンプール
85%の回答者が、概ね幸せに暮らしている
マレーシアには不便なところもたくさんある
しかし将来への不安は日本人ほど強くなく
自分の人生は、自分でコントロールできる、と感じている人の割合が多い
一方、東京は53位
東京の方がクアラルンプールよりはるかに交通網が発達しており、環境が整っていて経済も発展している
バブルの頃に比べれば物価も下がった
それでも住みにくい都市、だとしたら、住みやすさの決定打は?
外国人が住みにくい、と言う理由は、日本での人間関係の難しさ
この、住みやすさランキングの調査でいちばん大きく差がついたのが
Get Settled(住み着きやすさ)
1位のクアラルンプールに対し、東京は57位

あるアメリカ人
「日本人は外国人に親切にしてくれるが、自分たちのコミュニティの一員として絶対に受け入れてくれない」
これは田舎ではなく、東京の話
外国人は家もなかなか借りられない
私がマレーシア人や香港人を家に泊めると言うと
「大丈夫? ちゃんとした人なの?」
と心配する人が
言われてみると、日本人でもコミュニティに溶け込むことはそう簡単ではない
田舎暮らしで仲間外れになったり、転校生や途中入社組が馴染めなかったり
公園デビュー、がうまくいかないなどという話も
3代住まないと仲間とは認めない、と言われた地域も

このようにグループの外の人を敵と見なし警戒する傾向があるのでは?
シンガポールの故リー・クアンユー元首相は2000年に書いた『目覚めよ日本 リー・クアンユー21の提言』
で日本人の性質を指摘
〈《私は日本に留学したシンガポールの多くの学生に、日本の印象について調査を依頼したことがあります。「学ぶことがたくさんあった」と答えた学生がほとんどでしたが、「日本が好きになったか」という問いに対してイエスと答えた学生はわずかしかいませんでした。さらに「日本が大好きになった」という学生はほんの一握りでした。とくにアジア人として、まともに歓迎してもらえなかったという意識があるのかもしれません
というのも、日本人はいつも色眼鏡を通してアジア人を見るからです
私はイギリスに4年いましたが、人種差別を受けたのは下層階級の人たちからでした
バスの車掌やウエイトレスらにはよく馬鹿にされたものです
でも、大学時代の恩師や学友は私に対してとても親切で対等につきあってくれました
(中略)いまは2000年ですが、ある点において日本人はいまだに50年以上も前のイギリス人よりも排他的に思われます。》〉

20年経った今もあまり変わっていないと思います
そして、別に外国人に対してだけではなく、日本人同士でも同様です
逆に、マレーシアでは、初対面の人とすぐ友だちになれるお国柄、と言われる
先の駐在員を対象とした、住みやすさランキング、の調査でも
回答者の3分の2が「新しい友だちを作るのは簡単」
7割以上が「社会生活に満足している」
スイスのある駐在員
「素敵な人が住んでいる、とてもインターナショナルな街」
インドのある駐在員
「友だちを作るのは難しくない」

振り返れば、日本にいた頃はよく怒られた
今では学校や会社で、一部のクレーマーにより、細かいルールを作らなければならないという話が
怒っている人を宥めるために、サービスの提供側がある程度の譲歩をする
ごね得、という言葉をマレーシアの人に説明すると驚かれる
マレーシアでは、従業員がミスをしたケースでも、とくにお詫びもなく、責任を追及せず、「しょうがないね」で終わってしまうことがよくある
「人に迷惑をかけるな」と教わって育った日本人とは価値観が違う
遅刻したマレーシア人が、ニコニコしながら、「ソーリー」と言って日本人上司に怒られたり
車をぶつけられて、ぶつけた側から「まあ気にするな。運が悪かったのだ」と言われたり
しかし反面、「従業員への失礼な態度は絶対に許しません」と強気なところもある
日本のように「お客様は神様です」とは思っていない
日本にはお詫びをするときに、「対面でないと失礼」「謝罪文は手書きでないと失礼」と考える人が
言ってみれば、これは相手の気持ちを鎮めるための儀式
お互いに時間を無駄に消耗するにしても形式的な気持ち、が重要
この儀式をやらないと、誠意がない!と余計に相手が怒る
日本社会には、こうした
お互いに時間は無駄にするけれど、感情を収めるために必要なこと
にものすごく時間を費やす
人間なのだから、ミスをしたり、他人に迷惑をかけて生きるのは当たり前
他人を責め、許さない気質は窮屈・・・
ある大企業のイベントで、企業間でトラブル
現場はなんとかその場で収まりましたが、担当者はその後、反省文を書かさた
「何があったかを思い出して時系列に整理して、本社に報告しなくてはいけない」
なんという後ろ向きな仕事
一方マレーシアではトラブルの原因を追及せず、曖昧なまま終了することも
・・・原因の究明は必要
怒るのはNG

この反省文を書く、という謝罪の文化は小学生の時代から始まる
小学校では反省会というものが
その名の通り、児童に反省させる
反省文を書かされる方は、心の中では
「めんどうくさいなあ」
「あのときはお腹が痛かったからです」などと書くと「言い訳するな」とさらに怒られる
ひたすら「ごめんなさい、僕が悪かったです」と謝る
本心でなくても、です。ただ形式的にお詫びの文章を書く
反省文を書くことが、時間の浪費であり、他人に嘘をつく練習に
こうして「本音と建前」を子ども時代から叩き込まれていく
お詫びの姿勢を見せること
それに時間を使うこと
分厚い報告書を作ること
が日本のビジネスシーンでは重要なの?
たとえば地下鉄が遅延したとき、乗客に謝る職員
謝っている時間があったら、他の仕事をすればいいのに・・・
そして職員の貴重な時間が失われていき、サービス業に携わる人たちの仕事はますます忙しくなっていく

何度も刑務所に入るような犯罪者の共通点が
反省文をたくさん書いていること
臨床教育学者で、刑務所での累犯受刑者の更生支援に関わっていた岡本茂樹さん
著書『反省させると犯罪者になります』で
反省文を書くことは、「百害あって一利なし」
そんなバカなことがあるか。悪いことをしたら反省させるのが当たり前・・・
それは疑う余地もない世間の一般常識
しかし繰り返しますが、悪いことをした人を反省させると、その人はやがて犯罪者になる

問題行動を起こしたら、「すみません。ごめんなさい」と謝罪して、二度と過ちを犯さないことを誓う
これが学校現場だけでなく、家庭でも社会でも普通に行われてきた
しかし、これでは問題を先送りするだけなのです
それももっと悪化させた形で

反省させるだけだと、なぜ自分が問題を起こしたのかを考えることにならない
言い換えれば、反省は、自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っている
問題を起こすに至るには、必ずその人なりの理由がある
その理由にじっくり耳を傾けることによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになるの
この場合の内面の問題に気づく、ための方法は相手のことを考えることではない
親や周囲の者がどんなに嫌な思いをしたのかを考えさせることは、確かに必要なことではありますが、結局はただ反省するだけの結果を招くだけです。》〉
しかし今でも何かことが起きると、当事者を容赦なく引き摺り出して
「反省している姿を見せるべき」
と考える人が日本では大多数
学校や企業だけではなく、生活の場においても
・・・え~っと
もごもご・・・

新型コロナウイルスの感染が広がった当初、日本ではコロナに感染した芸能人が
「ご迷惑をおかけしてすみません」
マレーシアでは
病気にかかった人がお詫びする姿など見たことがない
それは、病気にかかってしまうのは仕方がないことと考えるから
電車や飛行機の遅れで謝ることもない
謝罪があってもサラっとしたもの
何かミスをしたとしても追及せず
「おお、ソーリーソーリー」
という感じで、つられてこちらも
「オッケーラー(いいよ)」
となってしまう。マレーシアに長くいると、こういう感じが身につく

日本にもそれなりにフレキシブルな組織はある
海外でモノを売るために社内公用語を英語にしたり、マネジャーに外国人を採用したりするところも
そのうち、日本のグローバル化とともにこの反省カルチャー、も薄まっていく?
人も企業も、無駄な謝罪を求めることで失われる時間の貴重さ、に気がつけば、社会はもう少し暮らしやすくなっていくと・・・
これから世界でモノを売りたい、海外で働きたい、という人は、日本人的な序列の感覚とは別に、どんな相手でもリスペクトするように心がけるといいと

一方シンガポールのリー・クアンユー元首相を驚かせた日本の
何かを改善していく力、独自の文化を発展させていく力、物事を丁寧に成し遂げようとする力
もまた、グローバル社会の中にあってユニークさを持ち続ける
良いところを見習いつつ、日本式とグローバル方式の二刀流を使い分けていくのが
海外でビジネスを成功させる鍵になるのでは・・・

・・・日本の生産性が低いと云われる原因?
トラブったら
次に同じ間違い?齟齬?を犯さない
その為の反省は有用
単に怒る、謝らせる、のは無意味でヒトにダメージを与える
中には
他人を怒ることで自らのアイデンティティーを・・・
回りを不幸に・・・

今日は~
初冬の常念

画がない・・・

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