2021年5月1日土曜日

正気を保つ

狭い場所にひとりで隔離される経験が人間の精神に取り返しの付かないダメージを与え、時に命取りになることは数々の研究が示している
独房監禁はパニック障害、抑鬱状態、幻覚、自傷行為、自殺を誘発する危険があるため15日間を超えてはならないと、国連は定めている
 で・アルバート・ウッドフォックスさん
悪名高い刑務所アンゴラに収監されて間もなく、看守殺しの濡れ衣を着せられ独房にぶちこまれた
それから44年間の独房生活、正気を失う寸前まで追い詰められても決して屈しなかった
閉鎖独房の囚人は、1日少なくとも23時間をひとりで拘禁される
1972/4、25歳のときに始まった苛酷な生活は2016年に69歳で釈放されるまでほぼ間断なくつづいた
独房監禁の処罰を科されたのは、看守ブレント・ミラーを殺害した罪で有罪判決を受けた後
このとき一緒に起訴されたハーマン・ウォレス、さらに別の殺人事件で有罪判決を受けたロバート・キングとウッドフォックスの3人は、独房のなかから無実を訴えつづけ、のちにアンゴラ・スリーとして名を馳せる
不屈の弁護団が長年かけて集めた大量の文書を見れば、ウッドフォックスとウォレスが濡れ衣を着せられたのは明白だった
殺害現場には血染めの指紋を含む法医学的証拠が山ほど残されていたが、いずれも2人の犯行にはつながらなかった。別々の強盗罪で服役中だった2人には、アリバイもあった
裁判の後、検察側の証人である受刑者が減刑の約束と引き換えに虚偽の証言をしたことも判明した
証言にはほかにも矛盾が見られたが、全員白人の陪審は1時間足らずで2人に有罪判決を下した
ウッドフォックス、ウォレス、そしてキングがあれほどの長期間にわたり苛酷極まりない監禁生活を強いられた真の理由を示す証拠も数多く存在する
看守殺しの罪を着せられるより少し前、ウッドフォックスとウォレスは刑務所内に蔓延する人種差別に立ち向かうため、ブラックパンサーのアンゴラ支部を設立した。
刑務所が建てられた場所はもともとプランテーション農場で、南北戦争以前は奴隷たちが綿花畑で搾取されていた
この地がアンゴラと呼ばれたのは、奴隷の供給地だったアフリカの国にちなんでのこと
ウッドフォックスがブラックパンサーの支部を作った1971年当時も、刑務所では事実上の奴隷労働が行われていた
受刑者を肌の色で分け、黒人だけが炎天下時給2¢セントで綿花を摘まされた

看守のミラーが刺殺され、事件の迅速な幕引きが求められた際、格好の標的にされたのが黒人の権利向上を訴える厄介者のブラックパンサーだった
ウッドフォックスとウォレスは独房にぶちこまれ、来る年も来る年も出してもらえなかった。
10年が経ち20年が経ち、当のブラックパンサー党が存在しなくなってからも監禁は続いた
看守殺害事件から40年近くが経ち、刑務所長が独房監禁を命じた理由は彼らがパンサー主義だったから、と認める証言を宣誓のうえで行ってからも監禁は解かれなかった
独房の中で生き延びられたのはブラックパンサー運動のおかげだと、ウッドフォックスは振り返る
「自尊心を、私だって人類の役に立てるのだという意識を与えてくれたのはブラックパンサーでした。なにより活動に参加したことで、私がこういう人間になったのは私の選択ではなく、制度的人種差別のせいだと気づかされたのです。私の人生は最初から、生き残りを賭けた戦いでした」
意志の力ひとつで運命は変えられるとウッドフォックスは信じるようになった
「どんなつらい目に遭っても、私たちは力を尽くして乗り越えました。乗り越えるだけでなく、人として成長したんです。身体が自由になれなくとも、心と精神は自由になれると私はわかっていました」
ピュリツァー賞の最終候補となった2019年の回顧録『独房監禁』に正気を保つための闘いが描かれている
ウッドフォックスは刑務所の図書館にあったフランツ・ファノン、マルコムX、マーカス・ガーヴェイら黒人活動家の著作を読みふけった
控訴のために法律も学んだ
数学のテストやスペリング大会を催し、チェスに興じた
鉄格子の中から同じく独房に囚われている仲間に大声で問題を出し、チェスは受刑者同士、指し手を呼び交わしてゲームを進めた
囚人仲間に読み書きを教えたことがなによりの誇りだとウッドフォックスは言う
「処刑室になるはずの独房を、私たちは学校や討論の場に変えました。恨みと怒りで荒(すさ)み、復讐の虜になるのではなく、あり余る時間を使い、社会の一員として生き残るために必要な技術を身につけたんです」
アンゴラでの生活で懐かしいと思うことは
「ありますよ。あの時間の余裕が懐かしい」
「ある日気づいたんです。塀の外ではあんな時間の余裕はないのだと。独房にいたときは毎日24時間、好きなことができた。自分なりの規律があった。けれども社会では気が散ることが多く、用事もたくさんある。アンゴラの独房では、好きに時間を使う以外に選択の余地がありませんでした」

独房で44年間をなんとか生き延びたウッドフォックスだが、その代償は大きい
この5年は精神的拷問の後遺症と向き合う日々だった
「目が覚めて、しばらく自分のいる場所がわからないことがあるんです。刑務所で目覚めたときに見えるのはコンクリートと鉄格子で、壁には絵などありません。それで一瞬、ここはどこだ、とパニックになってしまうんです」
刑務所では長年、閉所恐怖症にも苦しんだ
壁に迫られ、潰されるような感覚を散らすため、座った状態で眠ることもしばしばだった
今も数ヵ月ごとに発作に襲われる
あるときは親戚の子供が出たスポーツ試合をスタジアムで観戦中に兆候が現れた
「空気に組み伏せられるかのように、突然息が苦しくなりました。だから外に出て、歩きつづけた。あれには驚きました。何千人も観客のいる広いスタジアムで閉所恐怖症の発作が出るなんて、思いもしなかった」
そうした心身のダメージがウッドフォックスを刑務所改革に駆り立てた
彼はこの5年間、アンゴラでの独房監禁の禁止を求める非営利団体の設立に尽力するなどの活動をつづけている
険しく長い道のりではあるが、昨年ルイジアナ州は独房使用に関する法律を約100年ぶりに変え、妊婦の独房監禁を禁止した
とはいえ同州の独房使用率は依然アメリカで最も高く全米平均の実に4倍に上る

ウッドフォックスはアンゴラ・スリ」のロバート・キングとともにヨーロッパと北米各地を回り、講演活動も精力的に行っている(ハーマン・ウォレスは2013年、当局が渋々ながら釈放した3日後に癌で死去した)
自らの体験談を武器に、今も全米で8万人を苦しめている独房監禁の禁止を訴えている

回顧録に
「恨みや怒りは破壊をもたらすと悟るだけの知恵が、私にはあった。私はなにかを壊すのではなく、築くことに心血を注いだ」
アメリカを席巻する政治的混乱を、今のウッドフォックスはどう見ているのか。
「私はいま74歳。国を揺るがす騒乱をいくつも見てきましたが、1月の議事堂襲撃事件はアメリカ社会にとって決定的瞬間でした。民主主義ははかなく、いつ破壊されても不思議はない、その強さは信じる人の数にだけ比例するのだと、人々に気づかせたのです」
5年前、社会に戻ったときに目を疑ったのは家々の窓や車のナンバープレートに貼られた南部連合国旗の多さだった
ほどなくしてアメリカの変化は上辺だけだと思い知った
人種差別の実態は、彼が70年代に収監された頃からまるで変わっていない
「遠回しになっただけで、人種差別は深刻なままです。今の差別は言ってみれば、スーツとネクタイでめかし込んだ差別。露骨ではなくなりましたが、歴然と存在しています。しかも2016年当時、ドナルド・トランプはレイシストにとって安全な国を作ろうとしていた」

それでも彼は
「今ほど未来に希望を見たことはない」
ひとつにはブラックパンサー党の信条があるからだと
党はもはや存在しないがウッドフォックス
「われわれは警察による暴力の即時停止を求める。人間が住むに値する住居を求める。われわれは真実の歴史を教える教育を求める」
といったマニフェストを今も支えにしている

ブラックパンサーのマニフェストは、ウッドフォックスが第2の希望の源だというBlack Lives Matter運動にも確実に息づいている
「この国であまりにも多くの黒人が犠牲になってきたからこそ、『黒人の命を軽視するな』は世界的なスローガンになったんです」

不屈のウッドフォックスだが、そんな彼にも一度だけ、監禁中に正気をなくして絶叫する寸前まで追い詰められたことがある
1994年、母の葬儀への参列を禁じられたときだ
自由の身で過ごした5年間とそれに先立つコンクリートの独房での44年間を振り返るにつけ、母への思いは深まるばかり
「母の言葉や、それを発したときの口調が思い出されます」
「母は読み書きもできず無学でしたが、どんなにつらいことがあっても彼女がくじけるのを、その顔に敗北感が浮かぶのを私は見たことがなかった。そんな知恵を、私は自分のものにした。私には母の知恵が宿っているのです」

今日は~
デンドロビウム キンギアナム /Dendrobium kingianumシルコッキー

4月半ば
花が咲いた
けど今シーズンはコレだけっぽい
さみしい・・・
たぶん肥料・水が足りない・・・

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