2021年5月7日金曜日

ネットのワナ

 哲学者マルクス・ガブリエル
「日本はもっともデジタルインフラに批判が少ない国で、完全にスマホに支配されている。コミュニケーションの仕方も特異だ」

日本人は先進国の中で最も社会的に孤立しているというデータがある
(ミシガン大学による「世界価値観調査」)
社会的に孤立するとは、家族、友人、同僚以外の人と会う機会が少ないということ
日本人を含むアジア人は共同体を、ヨーロッパ人は個を尊重するという悪しきステレオタイプがある
この調査結果は、このステレオタイプを否定する社会学的証拠
データによるとドイツは全体で下位から5位、ヨーロッパ全体だと同じく4位
実際、ドイツ人は(日本人よりも)群れで行動する傾向がある
ドイツ社会では、人と一緒にお酒を飲んだり、散歩をしたりすることが非常に重要な役割を果たしています
これをドイツ語では散歩を意味するSpaziergangと呼び
このような文化はドイツ全土に見られる
また、ドイツ人のソーシャメディアに対する態度は、日本人とはまったく異なる
ドイツ人が人との直接の社会的接触を、デジタルな接触に置き換えることは非常に稀
一方、日本では様々な理由でデジタルな交流がずっと普及している
その原因の一つは、東京の住環境と人口の多さ
ある基準によれば、東京は狭い面積に人がひしめく世界一の大都市
このような状況が人を孤立化させている

日本はおそらく最もデジタルなインフラに対する批判が少ない国
だ中国でもデジタル化が進んでいるが、監視国家が国民にデジタル化を強制しているのしているのであって、国民が自ら望んでいるわけではない
ところが日本と韓国、特に日本は常にサイバー独裁の最先端を行っていた
2012年か2013年に初めて日本を訪れたときに最初に感じたこと
「なんということだ、この国は完全なサイバー独裁だ!」
すべての人が完全にスマートフォンに支配され、行動を統制されている
たとえ偶然であっても、他人の体に一切触れてはならないというルールがあるように感じられた

日本人は互いに意見が対立したとき、他の地域とはずいぶん異なるやり方でマネジメントする
対立の合理的な解消のプロセスや本物のディベートしない
日本人の一般的な生活の中に、そういったものを増やすべき
対立を避けようとするのではなく、むしろ対立を増やす
対立にさらされる機会を増やし、しっかりディベートを行うべき

ユルゲン・ハーバーマスの社会論に大変いいアイディアが
冷静にディベートをしたかったら、ディベートの時間・空間をきちんと設定するべき
スペースがあれば、対立が起きても完全に個人的な対立にはならない
物騒な衝突に発展するかもしれないような重要な問題も、冷静に語り合う力強いディベートが必要
それには、クラブやメディア、会議、イベントなど、何らかのプラットフォームが必要
正反対の意見を持つ二人の人間が同じスペース内で怒声を浴びせ合うのではなく
相反する提案を掲げる二人が、どちらが正しいのかを決めるための対話に入る
そういう理由でディベートは行われるべき
哲学のディベートは、まさにそのようにして行われる
私は今、現代の最も興味深く最も素晴らしい論理学者の一人であるグレアム・プリースト(ニューヨーク市立大学特別教授)と共著を作っており
プリーストはドイツに一カ月滞在してた
もしわれわれ二人が
「相手が論理のレベルで何か間違いを犯した」
と互いに思ったら、我々の間には対立が生まれ私は反論するでしょうし、彼も反論してくるでしょう
プリースト
「お前は間違っている」
「お前こそ間違っている」
でもわれわれは科学者、哲学者
怒鳴り合う代わりに、二人で椅子に腰かけて話すことができる
「さて、君は何と言った? なぜそう思ったんだい? その意見を裏付けるものは? 君が間違いを犯したと僕が思うのは、こういう理由からだよ。裏付けはこうだ」
それから賛否をリスト化、最後にそれを二人で眺め、合理的な根拠を検討する
そのようにして導き出される結論は、お互いの妥協点のどこかに落ち着く

彼の信じることには私の見解より優れたところがあるでしょうし
私の信じることにも彼の見解より優れたところがあるだろうから
それを統合したら、よりよい信念のシステムが生まれる
これが哲学的なディベートの仕組み

もし議論がただの反論になってしまったら──例えば
「あなたみたいな人たちは、いつも同じことを言う」
こんな言葉は、ディベートの場で出すべきでない
「あなたみたいな人たち」という時点で、お話にならない
こうしたやり取りは、すべてロジカルな議論の基本法則に基づいて行われなければならない

人格攻撃論法は許されるべきではない
人格攻撃というのは
「お前が言うことは間違いだ。なぜならお前が言うからだ」という考え方
それが正しいことは決してなくただの誤謬

哲学者マルクス・ガブリエルは、コロナ禍にすべてのソーシャルメディアのアカウントを削除した
「私たちはSNSを楽しんでいると思っているが、実際には窒息している」と

消費者行動を操作するソーシャルメディアのアルゴリズムは、基本的にわれわれを他人と対抗させる機能を持っている
インスタグラムやツイッターなどのプラットフォームには
それぞれできることとできないことを規定する枠組みがあり
この枠組みが人の行動を変化させている

グーグルのサーチエンジンは、ダックダックゴー(DuckDuckGo)とは違って
人が検索したくないものを、無理に検索させる機能を持っている
ダックダックゴーは完全にプライバシーを重んじるサーチエンジン
ダックダックゴーでは探したいものを探すだけですが、グーグルとダックダックゴーの違いはAI
グーグルは個人の検索行動を利用してその人の行動を操作し、ネットにハメようとする
この点はすべてのソーシャルメディアに共通
・・・それが銭になるから
トークショーのような伝統的なメディアでは討論が必要
トークショーも人と人を対抗させるという意味では似たようなロジックを用いていますが
異なる意見を視聴者に提示した上で合意点を求めて論争を解決しようとする倫理的側面がある
ですからトークショーで私を侮辱する人がいたら、その人を訴えることもできる
一方、アメリカのソーシャルメディアでは、このような組織的制御がまったく機能しない
ネット上で誰かに中傷されても自己防衛の術すべがありません
それはとりわけソーシャルメディアを過剰に使用している若者たちに深刻な影響を及ぼす
端的にいうと、アメリカのソーシャルメディアは自由民主主義を弱体化させる危険なドラッグ
自由民主主義の失墜とソーシャルメディアの台頭には相関関係があるだけでなく
ソーシャルメディアが民主主義の破滅をもたらす主因だと・・・
ソーシャルメディアの問題は、人を変えてしまうこと
ソーシャルメディアで人の行動が変わるということは、ソーシャルメディアがわれわれに自己を与えているということ
しかしフェイスブックに私が何者であるかを決める権限はない
そんなことに時間を費やすよりも、ソフォクレスやシェークスピアの作品を読んだり、友人と話をする方がよっぽどいい

元の自己があって、ソーシャルメディア上に歪んだ自己があるということではなく
その反対で、ソーシャルメディアは人に、本人が望まない自己を押し付けているということ
しかもそのプロセスが不透明
ちなみに元の自己など存在しないことは、すでにソクラテスが言及している
「自分は何も知らないことを知っている」と言ったとされてるが
実際は「自分は何も知らない自分を認識している」と言った
ソクラテスは自己認識のことを言っていた
自分に確固たる本質があるという観念から脱却しなければならないという考え方
仏教その他の宗教にも見られる

ソーシャルメディアは自分がもともと持っていなかったアイデンティティを押し付けてくる
あなたはアフリカ系アメリカ人だとか白人だとか、左翼だとか右翼だとか、若いとか歳をとっているとか、環境派だとかそうでないだとかを勝手に決め付ける
・・・ラベルをつける、記号化する
自分になかったアイデンティティを創り出すのですが、それは幻想に過ぎない
こうしてアイデンティティを押し付けられると、人は誤った自己概念に基づいて行動するように
・・・例えば温厚な変化を好まない方が、保守という言葉にハメられて
保守はこうあるべき、という妄言に酔わされ
過激な行動にでるとか・・・
私は確固たる自己がある、という考えを捨てることが自己を見つけることだという仏教の考えは正しい
私という人間は極めて複雑なプロセスの塊
・・・仏教は教え
ヒトはこうしなければならないと規定するのでなく
実際に生きてく上での迷いや悩み、を正しく認識しつつ
ソレに過剰に反応しないで乗り越えていく導き
・・・かしら?

若い日本人の女子プロレスラーが、SNSでの誹謗中傷が原因で自殺したと
どんな対策を講じても、このようなサイバーいじめはなくない
SNSが生み出すストレスは日本でも大きな問題
私たちは本当にデジタル・デトックス(解毒)を始める必要がある
そのプロセスを魅力的な観光旅行のようにすれば良い
富士山の近くなどで3週間過ごし、その間美味しい食事をして、ネットには一切接続しない。それが第一のステップ
すべてのソーシャルメディアのアカウントを削除しても何の不自由もなかった
麻薬はやめたら離脱症状が現れますが、ソーシャルメディアはやめてもちっとも困らなかった
ソーシャルメディアの利用は最低限にとどめることを勧めます
フェイスブックのサービスの一部は維持しても良いでしょう
友達の近況を知ったり、写真をシェアしたり、他の人と交流することには何ら問題がない
LinkedIn などはビジネスにも利用価値がある
ソーシャルメディアには便利な面もたくさんある
一方、ソーシャルメディア上ですべきでなこともある

政治的な議論や、哲学的・科学的議論はすべきではありません
本当の議論にはならないから
政治的な議論は、もっと時間をかけてすべきもの
書面形式でするか、人と人が対面してすべき
書面形式とは、本のように優良な出版社が品質管理できる形式が望ましいという意味であって、検閲するためではない
ソーシャルメディアではうまくいかない
・・・物事や考えをハンスウ・ソシャクして自分のモノにできない

あるいは新たなソーシャルメディアを作るったら
今あるソーシャルメディアの問題点がわかってるから、それよりも優れたソーシャルメディアを作ったら良い
新たなソーシャル・ネットワークを作ることは良いビジネスに
・・・ただ銭がからむとどうしても儲けるほうに・・・

今日は~
カタクリ/Erythronium japonicum

連休中に山へ
虫に喰われてウチで見れなかったカタクリ
開けたトコでの群生はすでに終わってたけど
上った先の林内
やっぱイイわ~
ところで
いくらでも静かなイイトコはあるのに
なぜかヒトが集まるトコが
ヒトがヒトを呼ぶ
ヒトは群れるってのを実感
こんなんだから感染が収まらない


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