ぼや川より
毛生え薬・つゆダクダクも・ムダ使い
・・・往生際が悪い・・・
兵庫県の小5男子がヤマカガシとみられるヘビにかまれ、一時意識不明に
治療に使われた血清は、群馬県太田市の小さな観光ヘビ園で30年ほど前に開発されたもの
今回の兵庫の事故後、Facebookで、京都女子大教授の小波秀雄さんから
「ヤマカガシの血清開発は科研費の研究だった」
科研費、つまり科学研究費助成事業は、研究者が国に研究プランを示し、認められたときに研究費が出る仕組み
要するに、死に至る毒蛇の治療法の開発は国主導ではなく、研究者が自発的に始めた
小波さんも投稿で
「その科研費が採択されていなければ、血清は作られておらず、今回の事故でも死亡につながったかもというわけです。人の命を救うための研究が、そういう性質の予算で辛うじて支えられたというのは・・・
日本の毒蛇対策
科研費のデータベースを見ると、申請は愛知の死亡事故の翌年で、申請者は日本蛇族学術研究所(へび研)
群馬県太田市の観光ヘビ園、ジャパンスネークセンターに併設
ヘビ園運営も併せてスタッフはパートさんも含めて計9人
運営費も基本的に、ヘビ園の収益でまかなってる
現在も国内の毒蛇対策の重要拠点
主任研究員で所長代理の堺淳さん(62)
「ヤマカガシの研究を始めた動機は、単に他にやっている人がいなかったから、ですね。単純な毒だとは考えられていたので、素人には取り組みやすいと思ったのです。死亡例は1例知られていましたが、そこまで危機感があったわけではありません」
大学時代に学んだのはクモの動物行動学
ヘビは素人だった堺さんですが、入所後に行った研究は、ヤマカガシの血清開発に大きなヒントに
ヤマカガシの毒をウサギなどの動物に注射すると、きちんと血中に抗体が出来る
そして、その抗体がきちんと毒を中和すること
それがあってこそ、愛知の死亡事故の翌年、へび研が血清試作に乗り出すことができた
試作に乗り出したきっかけは、死亡した中学生の遺族からの依頼のほか、当時の所長の熱意もあった
「元々は東大のヘビ毒の研究者でしたが、被害の多い東南アジアも駆け回り、治療法を探った人ですから」
へび研が試作した血清が11人分の治療で尽きはじめた頃の1998年
やっと厚生省(当時)研究班ができ、ヤマカガシの血清開発に取り組みます
堺さんも参加し、1000回分以上の血清が作られ、これが今も使われている
「マイナーなリスクであっても、誰かが対応しないとダメ、ということですね。でも、メジャーな毒蛇のマムシ対策だって、厳しい状況なんです」
国内でマムシの被害は年間約3000件
死者は5人前後
年間約3000回分の血清が出荷される
作っているのは一般財団法人の化学及血清療法研究所(化血研、熊本市)だけ
「昔は企業や大学など4者が作っていましたが、撤退しました。利用数が少ない血清は、利益が出ないんですよ」
しかも、血清製造に必要なマムシの毒を採取し、化血研に送っているのはへび研だけ
「マムシから毒を絞るだけでなく、処理もしなくてはいけない。今のところ、できるのはうちだけです」
しかし、へび研の運営を支えるヘビ園の入場者は減少
堺さんが1979年に就職した当時、会社の慰安旅行の団体さんも多くにぎわいましたが、近年は「かろうじてやっている」状態
若い人が入所しても生活が成り立たず、やめていく
マムシ血清の材料の供給が途絶えかねない不安に加え、もっと直近の不安も
ヤマカガシもそうですが、マムシ被害にしても、多くのお医者さんはそう頻繁に診察する訳ではありません
特にマムシはかまれた時に痛みが少ない時もあり、来院が遅れることも
様々な状況に対応できない全国のお医者さんが、へび研に相談の電話をかけてくる
「相談の仕事ができるのは私だけなんですよ。でももう62歳。いつまでできるか…」
ヤマカガシに関しては、堺さんの体力やへび研の経営以上に困難な状況も
水辺でほぼカエルを専門に食べるヤマカガシは近年、カエルの減少と共に減ってる
そして、ヤマカガシの毒はマムシと違い、殺さないと採取できないので数を集めなくてはならない
厚生省研究班で血清を作った際は、約300匹を集めた
「そろそろ作り直すことを考える時期ですが、それだけのヤマカガシを集めるのはかなり困難でしょう」
・・・へ?
お国はようでもねえコトにデカい銭使ってるんだけど
今日は~
キクザキイチゲ/Anemone pseudoaltaica濃色大輪種
4月の初め
まだツボミ
でも咲く寸前
ここんとこ寒いんで春が待ち遠しい
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