2021年3月22日月曜日

甘いものを食べるかどうか

いかにして善く生きるか、どうすれば幸せになれるのか――これは哲学の中心的なテーマ
だとすれば、夜中に甘いものが食べたくなったとき、それを食べるか我慢するかという問題も、”善く生きる”ことや”幸せ”に深くかかわるので、哲学的なテーマ
西洋中世の哲学者トマス・アクィナス(1225頃~1274)も、その主著『神学大全』において、この問題について考えるための手がかりを与えてくれています
『神学大全』はキリスト教神学の百科事典のようなものと思われがちですが、それは一面的な理解
日本語訳で全45巻もある大著ですから、実に多様なテーマを扱っていて
キリスト教神学という狭い枠の中には収まりきらない様々な問題が取り扱われています
日本語訳の第10巻は、人間の感情の動きがテーマ
欲望に対してどのように向き合うべきかも詳しく検討されている
そこに 夜中に甘いものを食べるかどうか という問題を考えるヒントがある
トマスは 甘いものを控えることの喜び
という視点を提示している
トマスは 〈節制〉という〈徳〉を身につけるからこそ得られる〈喜び〉がある と言っています
これはトマスだけの特殊な考えではなく、古代ギリシアのアリストテレス以来、哲学における伝統的な考え方の一つ
トマスは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を参照しながら、4つの”枢要徳”
すなわち”賢慮””正義””勇気””節制2について整理
夜中に甘いものを食べるかどうか は、4つめの節制に関わる問題
欲望をコントロールする力が問われている
・・・ごめんなさい

”節制”と”抑制”の違い
ツラいのは”抑制”であって、”節制”からは喜びが生まれるというのが、トマスの哲学の考え方
”節制”と”抑制”は言葉としては似ていますが、決定的な違いがある
トマスは”節制”について説明するさいに、アリストテレスに基づいて”節制ある人””抑制ある人””抑制のない人””放埒な人”の4種類を区別
”抑制ある人”は、いやいやながら欲望を我慢して押さえつけているのに対して
”節制ある人”は、節制ある在り方をしていることに喜びを感じている
・・・マゾ?
ワかっちゃいるけど・・・

トマスは、”節制”などの”徳”を身につけるのは、”技術”を身につけるのと似ていると
たとえば子どもがピアノを習うとき、最初はうまく弾けないからイヤイヤ練習するけれど、ある程度弾けるようになると、だんだん楽しくなってくる
技術を身につけると、簡単に素早くできるようになるし、それをやることに喜びが生まれてくる
それと同じように”節制”を身につけると、欲望をコントロールすることが容易になり、また素早くできるように

甘いものを食べるかどうか という話は、どうつながる?
たとえば、冷蔵庫の中に甘くて美味しそうなお菓子が入っているとする
最初のうちは、それを食べるのを我慢するのは困難で、つい食べてしまったり、たとえ我慢することができたとしても、食べたい という思いと 食べてはいけない という思いとの葛藤を経て、ようやく食べるのを我慢する
・・・よくあるパターン
タマに?負けてしまう

とても 喜びを感じる どころでは
それは、まだ”抑制”の段階にあるから
それに対して”節制”を身につけた人は、それを食べるのは自分の健康にとってよくないことだと判断したら、自ら進んで食べないという選択をする
すると 今日も健康な食生活を送ることができた という喜びを感じることができる
・・・感じてみたい

つまり”節制”という徳を身につけることは、何かをイヤイヤ我慢することではなくて
むしろ自分が本当に望んでいるものを見つけ、本当に満足するあり方へと自分を導いていくこと
”節制”がよいものだというのはわかるが、むしろ問題は、どうすればそれを身につけることができるか?
トマスやアリストテレスは”節制”などの徳は”習慣”の積み重ねによって形成されると・・・
たとえば大好きなスイーツが冷蔵庫にあるとき、食べる か 食べない か
どちらを選択するかは、人生全体のなかで見れば些細ことのように見えて
実はそうではない

人間がそうした分かれ道に直面して、どちらかの選択肢を選ぶかということは、そのときにたまたまどちらかの選択肢を選んだということで終わるものではない
選んだ方の選択肢を選びやすくなるような”習慣”が形成されてくる
そうすると、次に似たような状況に直面したさいにも、そちらの選択肢を選びやすくなってくる
そうした仕方で、どんどんある選択肢を選びやすくなるような性格や人柄が形成される
私たちが毎日行っている一見些細な選択が、実は人生全体の在り方へと直結している
”習慣”は単なる惰性ではなく、もっと積極的な意味を持つ
アリストテレスは言葉遊びを兼ねて、エートス(人柄・性格)はエトス(習慣)を少し語形変化させることによって得られると・・・
・・・駄洒落が好きだった?

いわば人間とは”習慣のかたまり”であって、その人が積み重ねてきた習慣がその人らしさを形成
ですから善い習慣を身につけることは、善く生きるうえで決定的に重

アクラシアとアコラシア
アクラシアというギリシア語は”無抑制”とか”抑制のなさ”などと訳されます
俗な言い方をすれば、「分かっちゃいるけどやめられない」という状態
つまり、何かが善くないということが頭では分かっているのにそれをしてしまうという在り方のこと
”抑制ある人”と”抑制のない人”には共通点が
どちらも”理性”と”欲望”との葛藤がある
そのうえで”理性”が”欲望”に打ち勝つのが”抑制ある人”
”理性”が”欲望”に負けてしまうのが”抑制のない人”

他方、アコラシアというギリシア語は”放埒””自堕落”
喜ぶべきではないものに喜びを感じたり、度を越して快楽を追求したりすることが、生きていくうえでの基本原理になっているような在り方
自堕落な人は欲望を追求することによって、自らの心身の健康を害したり、あるいは他人を傷つけたりしようとも、後悔することがない
そもそも”理性”と”欲望”の葛藤もない
”理性”が”欲望”の奴隷になり、”欲望”を満たすための道具のようになってる
・・・そうだ・そうだ・・・

「分かっちゃいるけどやめられない」という葛藤があるうちは、まだ理性の健全さが保たれているけれども
アコラシアの場合は、そもそも理性の健全性が損なわれてる
そして”節制ある人”の場合には、”理性”が健全な在り方をしているだけではなく”欲望”もまた徳によって整えられているので葛藤がない
しかも、この徳を身につけることによって”喜び”が感じられるようになる
”節制”は”喜び”を抱いて真に幸福な人生を安定的・持続的に送っていくために不可欠な要素

トマスの哲学は、キリスト教信仰の有無とはかかわりなく
人生を肯定的に生きていくうえの智慧がいっぱい詰まっています
・・・仏教的な思考

今日は~
ユーフォルビア マミラリス/ Euphorbia mammillaris

花、2月から咲いてる
ま・ど~ということの無い花

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