多種多様な職業の社会的価値を実際にすべて測定しようと試みた経済学者はほとんどいない
しかし、それを試みてきた少数の経済学者たちは、有用性(ユースフルネス)と報酬のあいだには反転した関係があることを立証してきた
2017年の論文、アメリカの経済学者ベンジャミン・B・ロックウッド氏、チャールズ・G・ナタンソン氏、E・グレン・ワイル氏
高給取りであるさまざまの職業にかかわる外部性(社会的コスト)とスピルオーバー効果(社会的便益)について既存の文献を探査している
その目的は、それぞれの職業が経済全体に対し、どれだけの量〔の価値〕を追加しているか、あるいは差し引いているかを計測することは可能かを探るため
彼らの結論は、そこにふくまれている諸価値があまりに主観的なので測定不可能である事例とりわけクリエイティブ産業に関連している、もあれば、おおまかな計算が可能な事例もあるというものだった
貢献度を計算できるもののうち最も社会的に価値のある労働者は医療研究者であり、その職業についている人びとは$1ドルの給料につき社会に$9分の価値を追加している
一方で最も価値の小さい労働者は金融部門で働いている人びと
彼らは平均して$1の報酬につき社会から$1以上の価値を差し引いている、そして金融部門の労働者はたいていきわめて高い報酬を得ている
分析結果の全容は、次のようなものである(▲はマイナス)
•研究者 +9
•教師 +1
•エンジニア +0.2
•コンサルタントとIT専門家 0
•弁護士 ▲0.2
•広告マーケティング専門家 ▲0.3
•マネジャー ▲0.8
•金融部門 ▲1.5
この結果は、このような職業の価値全体に対して多数の人びとが抱く直感的な疑問を裏づけているように見える
しかし著者たちは最高給取りの職業だけに焦点を絞っているために、ここでの目的のために活用するのには限界がある
おそらくリストの中で、教師は少なくとも平均値において最も賃金の低い労働者であり、研究者の多数はギリギリのところで生活している
この結果は賃金と有用性のあいだに負の関係性が存在することと矛盾しない
とはいえピンからキリまでの領域の仕事を理解するためには、より幅広いサンプルが必要である
そのように幅広いサンプルを扱った研究に最も近いのは多分イギリスのニューエコノミクス財団のおこなった調査
その調査では社会的投資収益率分析と呼ばれる方法を用いて、3つの高収入の職業と3つの低収入の職業、合計6つの代表的な職業が検証されている
その結果を要約すると
•シティの銀行家
年収約£500万、£1を稼ぐごとに推定£7の社会的価値を破壊
•広告担当役員
年収約£50万、給与£1ポンドを受け取るごとに推定£11.50の社会的価値を破壊。
•税理士
年収約£12万5000、給与£1ポンドを受け取るごとに推定£11.20の社会的価値を破壊。
•病院の清掃員
年収約£1万3000(時給£6.26)、給与£1を受け取るごとに推定£10の社会的価値を産出。
•リサイクル業に従事する労働者
年収約£1万2500(時給£6.10)、給与£1を受け取るごとに£12の社会的価値を産出。
•保育士
年収約£1万1500、給与£1を受け取るごとに推定£7の社会的価値を産出。
調査者たちは、こうした計算の常として、いくぶんかは主観的であること
この研究が収入規模上でトップとボトムにのみ集中しているということを認めている
その結果、報酬の面ではおおよそ中位で、ほとんどの場合、少なくともその社会的便益がポジティブでもネガティブでもなくゼロのあたりをうろついている大多数の仕事を除外している
それでもなお、ここでは他者のためになる労働であればあるほ、受け取る報酬がより少なくなるという一般的原則が、強力に裏づけられている
この原則にはいくつかの例外が存在する
医者の給与額は、とりわけアメリカでは最上位を占める傾向にある
ところが彼らは議論の余地なく有用な役割をはたしているように見える
しかしながら医者ですらそのような例外には該当しない、とする医療従事者たちもいる
例えば薬剤師は、ほとんどの医者が人類の健康や幸福にはごくわずかの貢献しかしておらず、いんちき薬(プラシーボ)の自動販売機と化しているという確信を持ってる
・・・?
しかし少なくとも1900年以降の人間の寿命が延びたのは医療の発達ではなく、衛生学や栄養学、そして公衆衛生が改善されたせいと云われる事実はある
このことから、病院では(きわめて給与の低い)看護師や清掃員が、(きわめて高額の給与を受け取っている)医者たちよりも、実際には健康状態の改善により大きな貢献をなしているといえるかもしれない
別の例外もわずかばかりある
例えば、水道工事人〔配管工〕や電気技師の多くはその有用さにもかかわらず、多くの報酬を受け取っている
それと、かなり無意味であるような低報酬の仕事もある
しかし、おおよその場合規則は該当しているように思われる
とはいえ、社会的便益(ソーシャル・ベネフィット)とそれへの報酬とが反比例している理由は、まったく別次元の問題
わかりやすい理屈づけもあるが、どれも的外れ?
例えば教育水準
教育水準が給与水準を左右するとするとアメリカの高等教育システムで、優秀なポスドク(博士号を取得後に任期制の職についている研究者)の多数が、貧困状態のまま非常勤講師をして、食料配給券に頼りながら食いつないでいるという状況は?
一方、需要と供給だけでみるならアメリカでは、訓練を受けた看護師の不足が深刻なのに対し、ロースクール卒業者は余ってる
にもかかわらず、なぜアメリカの看護師が企業の顧問弁護士よりはるかに少ない給与しか受け取っていないのか?
それには階級権力と階級的忠誠が大いに関係している?
おそらくこの状況に関して最も悩ましいのは、きわめて多数の人びとが、この反比例した関係を認識しているばかりか、それが正しいと感じているように見える
古代のストア派がよくいったように、徳はそれ自らが報いである、というわけだ(いいことをしたらそれ自体が報酬であり、それ以上の対価は不要である)
このような主張は長らく教師に云われてきた
小学校や中学校の教師の実入りがよかったりしてはならない
法律家や会社の重役と肩を並べるようなことがあってはならない
こうしたことは頻繁にいわれている
もっぱらカネ目当ての人間に子どもを教えてもらいたい者がどこにいるだろうかと・・・
社会に便益(ベネフィット)をもたらす人間は多くの報酬を受けてはならぬ
という考えは・・・
・・・他人の血をチューチューする為の努力をした人が報われるのは当然だ・・・
その努力をしてこなかった人が飢えても当然の報い
やらずぶったくり・・・が今のシャバ
今日は~
カノコユリ/Lilium speciosum白
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