2022年5月8日日曜日

電子政府は不滅?

池上さんの著作より
バルト海の東岸に並ぶエストニア、ラトビア、リトアニアの3カ国を総称してバルト三国と呼んでいます
三国とも首都の歴史地区と呼ばれる区域に中世以来のさまざまな建築様式が現存していて
その美しい町並みは、世界遺産に登録されています
バルト三国とひとくくりにされる三国ですが
宗教や言語などの相違点も
それでもバルト三国という呼び方が日本で定着したのは、近代以降の歴史に要因が

三国は、近代以前はそれぞれ独自の歴史を刻んできましたが、地理的環境から、常に東方のロシア、西方のドイツからの侵略にさらされてき
18世紀からはロシア帝国の支配を受けるようになり
20世紀に入り、ロシア革命後に三国そろって独立
第二次世界大戦前夜の1939/8
ソ連のスターリンは、ドイツのヒトラーとの間で独ソ不可侵条約を締結
この条約には両国でポーランドを分割することや、バルト三国をソ連が併合することを取り決めた秘密議定書(付属文書)があった
翌月、ドイツがポーランド侵攻を開始、第二次世界大戦が始まった
ソ連はヒトラーとの密約に基づいて、バルト三国を支配
ソ連は、三国にそれぞれ共産党をつくりソ連邦に取り込む
バルト三国の人たちは密約の存在を知らず
秘密協定の内容は戦後に明らかになった

当時、独ソ不可侵条約は、世界中に大きな衝撃を
ヒトラーは共産主義を敵視して、ドイツ共産党を壊滅させており
そのヒトラーがスターリンと手を結ぶとは考えられなかった
でも、その後ドイツが一方的に条約を破棄して、ソ連に侵攻
ヒトラーにとって独ソ不可侵条約は、ポーランド侵攻のために英仏を牽制けんせいする一時しのぎの条約だった

独ソ不可侵条約にいちばん衝撃を受けたのは、日本
日本はドイツ・イタリアと三国防共協定によって手を結
、ソ連とはノモンハン(当時の満州国とモンゴルの国境付近)で交戦中だった
時の平沼騏一郎総理は、混迷する国際情勢の中、欧米との外交に自信を失って
「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」
と平沼内閣は総辞職
日本が太平洋戦争に突入したのは、その2年後

独ソ戦が開始されると、バルト三国は一時ドイツに占領される
しかし、反転攻勢に出たソ連軍によって解放され、1944年から再びソ連邦を構成する共和国に
戦後はロシア人が多数移住し、ロシア語が強制される
それから約40年後、ソ連がゴルバチョフ政権になって改革を始めると
いわゆる東欧革命が起きて、東欧諸国のソ連離れが進んだ
急速に独立の機運が高まるきっかけは、グラスノスチ(情報公開)によって
1939年の独ソ不可侵条約に付帯する秘密議定書の存在が明るみに出たこと
この秘密協定によるソ連のバルト三国併合は違法である、という認識が強まり
三国が連帯して大規模な抗議運動を起こすことに

1989/8/23独ソ不可侵条約の締結から50年目にあたるこの日
条約の締結に抗議して、エストニアの首都タリンから、ラトビアの首都リガを経て、リトアニアの首都ビリニュスまで、100万~200万人もの人々が立ち並び、三国を人間の鎖で結んだ
当時の三国の総人口が800万人弱で、ロシア系の住民を除いて考えると
少なくとも5、6人にひとりが参加した大規模な抗議運動

よそ600kmの距離を結ぶ人間の鎖の映像や写真は、世界の注目を集め
エストニア、ラトビア、リトアニアがバルト三国として認識されるきっかけに
ソ連とドイツの支配に翻弄ほんろうされてきた歴史や
ソ連から独立を要求していることを世界中の人々が知ることに

それから4カ月後、ソ連人民代議員大会は秘密議定書の存在を確認
それを不当かつ無効とする決定を採択
抗議運動を推進したのは、三国それぞれに組織された人民戦線
リトアニアではサユーディス(運動)と呼ばれた
人民戦線は、ファシズムの台頭に対抗するため、さまざまな政党や団体が統一した組織となって戦う必要があるとして
1930年代にスペインやフランスで結成されたのが始まり

バルト三国では、ゴルバチョフの改革に伴って
ソ連当局に対して民主化を求める市民運動が、主に環境問題からスタート
バルト海を汚染から守るとか、チェルノブイリ型原子力発電所の拡大反対とかいった運動
三国それぞれが、さまざまな民主的運動を統一しようということになり人民戦線がつくられ
次第に独立回復運動へと発展
三国の人民戦線組織が互いに協力し合うようになり、指導層にも波及
大規模なデモンストレーションが実現できた

1990/3まずリトアニアが独立を宣言
翌年8月、ソ連国内で保守派のクーデターが失敗に終わると、直後にエストニア、ラトビアが正式に独立を宣言
ソ連が崩壊したのは同年12月

バルト三国には第二次世界大戦後、多数のロシア人が移住
彼らは、当然ですが独立の動きが高まるのに対し、ソ連残留を望んだ
リトアニアが独立を宣言すると、親ソ派はソ連軍の介入を要請
ソ連軍がリトアニアの首都ビリニュスの放送局を占拠
この時、14人の死者と数百人の負傷者が出てている
さらにラトビアの首都リガでも、ソ連軍が内務省などを攻撃し、死傷者が出た
しかし、このソ連軍による攻撃のあと、リトアニア、ラトビア、エストニアでそれぞれ独立の是非を問う国民投票を実施
リトアニアでは9割、ラトビア、エストニアでも7割以上が独立に賛成という結果が

ところでゴルバチョフ大統領は、三国の自治権を認めつつ連邦に残留させられないか探りますが
ソ連政権内の保守派は、バルト三国に妥協的なゴルバチョフに危機感を募らせクーデターという行動に出た
クーデターが起きると、バルト三国内でも親ソ派がソ連軍と共にテレビ局や電話局を占拠(エストニアではテレビ塔の占拠に失敗)
クーデター反対に立ち上がった市民によって退去させられた
モスクワのソ連保守派のクーデターも失敗
その4カ月後にゴルバチョフがソ連の解体を発表
こうして見ると、バルト三国の独立がソ連解体への直接の引き金になったと

ところで、バルト三国のそれぞれの国に、大規模な歌と踊りの祭典がある
バルト三国の歌と踊りの祭典はユネスコの無形文化遺産にも指定されている
エストニア、ラトビアでは5年ごとに、リトアニアでは4年ごとに行われてる
19世紀後半に始まり、各地から民族衣装を身につけた人々が集まって、歌と踊りを披露
最大規模のエストニアでは何万人もの歌い手とダンサーが登場
聴衆と合わせて10万人以上が参加する国を挙げたイベント
ソ連に併合されていた時代にもこの祭典は続いていましたが
それは当局による懐柔政策の側面も
ゴルバチョフ政権下の1988/9エストニアの首都タリン郊外の野外音楽堂で開催された祭典では、25万人以上が集まったといわれ
祖国を思う歌を歌い、独立回復を主張
これを機に三国では音楽集会や独立運動のデモで、盛んに祖国の音楽を歌い、演奏
常に歌と共に、平和的に闘ったことにちなんで
バルト三国の独立に至るまでの行動は歌う革命とも呼ばれているの

近年、バルト三国で世界的に関心を集めているのが、エストニアのICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)
インターネット電話サービスのスカイプ(Skype)はエストニアで開発された
エストニアは小さな国ですが、世界の中でもトップを行く電子国家
15歳以上の全国民と永住者に、本人確認やオンライン認証、電子署名が可能な国民IDカードが配布され
このIDカードによって、役所で行うような手続きは、ほとんどネット上でできる
さらに、国政選挙の電子投票や電子裁判も
e-エストニアという国家キャンペーンを張るほど、IT化が進んでる
日本もデジタル化を進めたいので
自治体や企業がエストニアに視察団を送って、いろいろ学んでる

エストニアがこのようにICTを発達させたのには理由が
かつてエストニアの首都タリンに、エストニアを解放したソ連軍の兵士の像という銅像があったが
エストニア人にしてみれば、ソ連軍による占領の象徴というべき銅像は目障りだった
2007年に銅像を郊外に移転させようという動きが盛り上がった
その途端、エストニア政府は正体不明のハッカーによって猛烈な攻撃を受け国内が大混乱
ロシアのサイバー攻撃?
この時点でエストニアはすでに電子立国でしたから、その影響が大きかった
この出来事をきっかけに、エストニアはハッキングされない安全対策をとった本当の意味での超電子立国を目指すように

現在、エストニアでは、さまざまな行政サービスが電子化
特に注目なのは、ネット上に電子政府をつくっていること
しかも、エストニアの国民以外にも電子居住権(e-Residency)を与える
電子居住権取得者になると、エストニアの電子政府のシステムを利用することができる
企業の設立・運営、納税や電子署名を国外からも行える
だから、エストニアに投資したり会社をつくったりしやすい
こういった外国からの投資や企業誘致を促進するのがエストニア政府の狙い
でも電子政府をネット上につくった目的は、それだけではない
将来エストニアがロシアによって占領されたとしても
電子政府のデータをバックアップしておけば、いつでも再出発でき
結果的に国民を守ることができる
電子政府をつくった理由は、ロシアによってエストニアが支配されても
また復活させるための安全対策

プーチン大統領は、ソ連の崩壊について聞かれた時
「地政学的な悲劇である」
地政学的悲劇とは
ソ連は、バルト三国をはじめ15の共和国でまとまった大国だった
ヨーロッパの国と戦争になっても、ロシアの周りに緩衝地帯となってくれる共和国がたくさんあった
ところがソ連崩壊で、共和国がそれぞれ独立
ロシアは国境で直接敵からの攻撃にさらされてしまうことに
プーチン大統領の執務室には、初代ロシア皇帝ピョートル大帝の肖像画が
プーチン大統領には、過去の栄光よ、再びという思いが?

エストニアが電子立国になった背景にはロシアへの強い警戒心があった

で、日本

記事 の頭だけだけど
おおよそ類推できるので

デジタル庁が目玉政策の1つに据える、法人や国土など公的データの整備事業
公募していた入札途中の案件は取りやめ
既に開発したシステムは当面凍結される
原因は、行政分野ごとに”事業所”の概念が多様すぎると判明したから
分野を超えて事業所データを統合し多目的に使う政府構想は
簡単には実現できないと判断

・・・中断自体はイイ
余計な銭を使わないですむ
この計画
おそらく銭をカけてチマチマやればデキそう
行政etcの効率化にはなる
で決まったと
ところが
各省庁なんかで、てんでバラバラに作ったデータ
コッチには”テキヤ”がるけど
アッチには”テキヤ”が無い
とか
コッチではA分類だけど
アッチではD分類
etc
こういう時って
思い切って
初めからデータのマスターから作るツモリでヤんないとムリ
例えば
住所が必要かとか(必要なんだけど)
メンドクサイけど
デジタル庁となったからには
覚悟を決めないとムリ
まあ各省庁の抵抗もアるだろうし・・・
・・・なさけない

今日は~
シクラメン

4月半ば
まだまだ咲いてる
ただ、熱い日があったりして
花が進むのが早くなった
結局
最後の1花は
連休まで咲いてた
11月終わりに咲きだしたので
5か月間咲いてた
なんてケナゲなコ

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