2025年8月11日月曜日

温室効果ガス排出が米国気候に与える影響に関する批判的レビュー より

2025/7/23気候危機説を否定する内容の科学的知見をまとめたhttps://www.sonposoken.or.jp/media/reports/sonposokenreport125_1.pdf


6章 極端な気象 より
要約
ほとんどの極端な気象について、利用可能な歴史的記録において統計的に有意な長期的な傾向は示されていません
米国では1950年代以降、暑い日の数が増加していることはAR6で強調されていますが、1920年代や1930年代と比べると依然として低い水準にあります
極端な暴風雨、ハリケーン、竜巻、洪水、干ばつは、著しい自然変動を示してきましたが、長期的な増加は検出されていません
一部の地域では、短期間の極端な降水量イベントの増加が検出されていますが、これらの傾向は長期にわたって持続したものではなく
また、広域的には確認されていません
米国における山火事は、1980年代よりも頻繁ではありません
焼失面積は1960年代から2000年代初頭にかけて増加しましたが、推定される自然ななりゆきと比べると依然として低い水準にありす
米国の山火事の発生は、森林管理のあり方に強く影響を受けています

一般的に言って、「災害の激甚化・頻発化」などは観測されていない
CWG報告では、このことを多数のグラフを利用して説得的に説明

気候というのは、長期的には大きく自然変動するものだ、ということからこの章は始まっている
800年間にわたるナイル川の水量のデータが、それを示している
人間がCO2を出さない限り気候は一定だと想定したり、数十年程度の気候の変化が長期的な傾向だと思ったりしてはいけない、ということだ

水文学の文献では、降水量データに長期的で緩やかで不規則な振動が存在することが長年指摘されてきました(Hurst 1951, Cohn and Lins 2005, Markonis and Koutsoyiannis 2016)
このような自然の振る舞いがあることは、自然変動を正確に推定するためには、長期的な記録が必要なことを示しています
自然変動の時間的規模に比べて短い記録を分析すると、傾向を過大評価する一方で、極端な現象の発生可能性を過小評価する傾向になります(Cohn and Lins 2005)
この良い例が、カイロのローダ島で観測されたナイル川の年間最低水位記録の800年に及ぶ記録です(図6.1.1参照)
ナイル川は、米国本土の約3分の1に相当する400万平方マイルの流域への降水によって水を供給されています
20世紀以前、人類の地球気候への影響は無視できるほど小さかったため、30年平均で表した世紀規模の変動は完全に自然現象です
7世紀から8世紀のエジプト人にとって、その時期の干ばつの悪化が「新しい正常状態」であると仮定するのは誤りでした

図6.1.1 カイロ近郊のナイル川の年間最低水位の650年を超える記録(622年から1284年)
メートル単位で測定されたデータは、長期的な傾向の周囲で年ごとの変動を示す特徴的なパターンを示している。
データはKoutsoyiannis(2013)より

図を見ると630年ごろから770年ごろにかけて、年間最低水位は3メートルから1.3メートルぐらいまで大幅に減っている
しかし、当時の人が、この傾向が永遠に続くと想定すれば、それは誤りだったということになる
「僅か」140年の傾向を見て、それが長期的な傾向だと思ってはいけない、ということである

次に、ハリケーンであるが、IPCCには以下のような記述がある。

AR6:過去40年間で、重大な(カテゴリー3~5)熱帯低気圧の発生の全球的な割合が増加した可能性が高い

しかしCWGは、多くのデータを統計的に厳密に分析した結果として、以下のように要約

・・・ハリケーン活動の全球的および地域的な変動(variation)と傾向の分析は、変化(change)の検出とその原因の理解の基盤を提供します
ハリケーン活動の比較的短い歴史的記録、特に衛星時代の記録は、最近のハリケーン活動が背景の自然変動と比較して異常であるかどうかを評価するには不十分です
大西洋のハリケーンプロセスは、大西洋の海洋循環変動の自然モード、特に大西洋多年代振動(AMO)に大きく影響されています。全球海面水温の上昇がハリケーンの強度増加を引き起こすという仮説は長年提唱されてきましたが、データ記録の短さと自然変動の大きさが、ハリケーンデータにおいて如何なる有意な傾向の特定も妨げています。

上記で変動(variation)と言っているのは自然変動を含むものであり、変化(change)と言っているのはCO2による人為的な変化(change)のことである
観測期間が短い一方で、自然変動が大きいために、ハリケーンの強度について人為的な変化は検出されなかった、というのがCWGの結論

次に、大雨について見てみよう。
IPCCやNCA(米国国家気候評価)は、大雨が増加したと報告している

AR6は、1950年代から始まるデータにおいて、激しい降水量の増加が観測されていると評価しました
AR6:観測データが傾向分析に十分な陸域の大部分において、1950年代以降、激しい降水イベントの頻度と強度が増加しています(高い信頼度)。(SPM A3.2)

AR6:北米では、1950年代以降、極端な降水量の規模と強度が増加したことが、非常に高い信頼度で示されています
北米では1950年から2018年にかけて、[1日最大値]と[5日最大値]の両方が有意に増加しています。(第11章、p. 1560)

米国国家気候評価(NCA4、NCA5)は、米国本土の東部、特に東北部において、分析を開始する年を1901年または1958年のいずれかに設定した場合
最も激しい降水イベント(異なる定義で定義)の発生頻度が増加していることを強調しています

しかしこれも、多くのデータを統計的に厳密に分析すると、大雨が激甚化しているとは言えない、とCWGは結論

要約すると、一部の米国地域では、極端な降水イベントの、短い期間における増加が観測されていますが、これは自然変動の範囲内のものです
しかし、降水データの自己相関特性を考慮した、長期的かつ全国的な観測記録を分析すると
短い期間に観測された大雨の増加が、より頻繁にないしは強くなるという主張は支持されません

熱波について

米国の第5次国家気候評価(NCA5)では、読者にウェブサイト(USGCRP 2023)を参照するよう案内し
1960年代以降の10年ごとの都市部熱波の日数を示す図を掲載しています
この図は、図6.3.7として再掲します

図6.3.7 米国50の大都市圏における年間平均都市熱波発生回数
本文で説明される理由から、この指標は誤解を招きやすい
出典:https://www.globalchange.gov/indicators/heat-waves
(2025年5月22日にアクセス)

しかし、この図は極めてミスリーディングだとして、CWGは批判

図は、1960年代の年間2回から2020年代の6回まで、各10年間で単調増加を示します
使用されている熱波の定義は、人間の不快感を測定する珍しいが実用的な指標で、「2日連続で、最低体感温度(気温と湿度の組み合わせ)が85パーセンタイルを超える期間」とされています
また、データセットは米国最大の50都市に限定されています

異常な熱波の定義と都市部への焦点のため、USGCRP(2023)で示された1960年以降の増加値は、少なくとも2つの理由から、長期的な傾向や温室効果ガス(GHG)排出の影響について有益な情報を提供しません
第一に・・・1960年代は1910年代以降で最も寒い十年間であり、1970年代は2番目に寒い十年間でした
この開始年は、時系列データが増加を示すように前提条件となっています
第二に、これらの都市における1960年以降の都市化は、Tminが同地点のTmaxや近隣の農村部のTminと比較して上昇する主要な要因です(Karl et al. 1988, Runnals and Oke 2006, Christy et al. 2009, McNider et al. 2012)
これは、主要都市における夜間気温の実際の増加を否定するものではありません

つまり問題は2つある
第1に、1960年代と70年代は偶々寒かった
1930年代はもっと暑かったから、1960年代以降だけを見せて暑くなっているというのは恣意的だ
第2に、都市の気温だから、都市熱の影響がとても大きいはずだが、それについて言及していない
このため、読者はこれが地球温暖化による影響だと思わされてしまう
以前の米国政府の国家気候評価(NCA)では
このように、徒に気候危機を煽るために、データの悪用が行われていたということだ
本件ついてもまた様々な統計データを分析して、CWGは以下のように結論している

米国本土全体として、この節の証拠は、都市化の影響と自然な気候変動に比べるならば、温室効果ガス排出は熱波に対して殆どまたは全く影響を与えていないことを示しています

・・・え~っと
ちょっと古いレポート

要旨
気候変動、地球温暖化の影響により、世界で発生する自然災害の強度と頻度が増していると言われている
米国においては 2017 年、ハリケーン・ハービー、イルマ、マリ
アや、カリフォルニア州などでの森林火災により、巨額の保険損害が発生した
このような状況下、米国の保険会社は様々な取組を行っており、本稿では主な動きを紹介する
ハリケーンに関しては、ハリケーン免責金額を補償する保険を提供することにより、消費者の利便性向上につなげようとする動きがある
またリスク分析技術の高度化を背景に、連邦洪水保険制度の歪みをついた民間保険会社による個人向け洪水保険市場への参入の増加傾向が見られる
森林火災については、最近のリスクの高まりを受け、保険会社は保険料の引上げや引受の見合わせを行っている
他方、外部機関などと連携し、社会と一体となってリスクを低減する活動にも取り組んでいる
また監督当局は、消費者が保険入手困難となっている現状を、法制化などによって解決しようと取り組んでいる
これらの取組は、わが国において保険会社がどのように社会と連携し、国や地域、社会全体としてのリスク低減の取組をどのようにサポートしていくのかを考える材料となるであろう

・・・長いんで興味ある方はリンクから読んで
今は、こんなモンじゃないと
保険料の値上がりはもちろん
場所によっては
損害保険に入ないとかがあたりまえ・・・に

今年、ウチの火災保険の更新が
えれ~保険料がアがった
日本でもこう
今年はヨーロッパでも気象災害が頻発
損害保険の問題がでてくると・・・

銭金は端的に現状を反映してると
CWGさんは、これをど~考えてる?
ってかCWG 恐ろしく長いスパンで論じてる
人の営みから見れば
今、先々数年、十年先くらいど~なるかが問題
さらに干ばつ・暴風雨など
過去に例の無い(おそらく数百年)激しさ
コレは無視?
CWGはワかった上でやってる
まあ犯罪だよね・・・

ところで参政党・神谷さん
SDGs政策の廃止、パリ協定を含む脱炭素政策の廃止、WHOの脱退、ウクライナ支援の見直し、DEI政策の廃止、政府によるSNS規制の撤廃
を・・・
何も考えてねえ

今日は~
マスデバリア インカクイーン/Masdevallia Inca Queen

5月はじめ
鮮やかな、紫をカんだピンク
いいわ~

2025年8月5日火曜日

韓国 米国が所有、運営する投資プロジェクトに3,500億ドルを投資

日本とアメリカの関税交渉がアイマイモコで不安
と思ってたら

 2025/7/30トラさんの投稿
合計金額は、今後2週間以内に実施するトランプ氏と韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領の米韓首脳会談で発表する

・・・米国が所有、運営する投資プロジェクト
どういうトコに、どう銭を使うかはアメリカしだい
決算が赤になったら韓国にババを引かせて・・・
コレも不安だわな

どう見てもマトモじゃない
けど、それがトラさん流
は~

2025/8/5トラさん
日米関税交渉で合意した日本による$5500億(約¥80兆)の投資枠について
「野球選手が受け取る契約金のようなもの」
われわれが好きなように投資できる資金

日本は
投資について、あくまで投融資と政府保証の枠を設けただけ

・・・きたか

今日は~
メスグロヒョウモン♀

画は6月はじめ
羽化して放蝶まぎわ
羽の裏・表
コレがヒョウモンなの?
って感じ
この画のおかげで同定できた
蝶とかでも画像で検索できんだ・・・
植物関係は一般的なモノでないと?な結果になりがち

で、先日の♂はなぜ?かというと
幼虫の段階で
女房が
ツマグロと顔が違うコがいると言っていた
一見、ツマグロと似ていてワかんないけど
顔が違うと・・・
で、先に羽化したのが♂
ソッチはヒョウモンなんだけど
はっきりしない
で、今度は♀
画像検索で一発回答
めでたく?同定

2025/8/6
加筆

2025年8月2日土曜日

終わりかた

ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています
他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと
「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない
一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます
今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学
寝たきり老人は1人もいませんでした
胃ろうの患者もいませんでした

その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら
口から食べられなくなるのは当たり前で
胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識している
逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえある
日本のように高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません
肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません
内服投与のみ
したがって両手を拘束する必要もありません
つまり、多くの患者さんは寝たきりになる前に亡くなっていました
寝たきり老人がいないのは当然でした
欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません
しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない
そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると人間の尊厳について考えざるを得ません

家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」
を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています・・・

そして
スウェーデンのほとんどの高齢者は、現在暮らしている所で延命されずに緩和ケアを受けて亡くなります
スウェーデンの緩和ケアとは、どのようなものでしょうか
現地で、認知症専門看護師として働く長谷川佑子さんに聞いてみました
長谷川佑子 認知症専門看護師
終末期の緩和ケアは、病院でも高齢者施設でも
痛みや不安などのあらゆる苦しみをなくし、あるいはできるだけ少なくし、患者さんが穏やかに過ごせるようにする
医師は、終末期の苦痛緩和のために緩和ケアセットという複数の薬剤を処方します
モルヒネの皮下注射などの麻薬も含まれています
看護師はその中から、自身の判断で、いつでも本人が望むだけ薬を投与することができます

家族には
「この薬で痛みがとれる分、ほぼ 昏睡こんすい 状態で会話ができなくなったり、呼吸が弱くなって命が短くなったりすることがあります
でも、穏やかに最期を迎えられます」と説明します
多くの家族は「命が短くなっても苦痛をとってほしい」と薬剤の使用に納得してくれます
そのためベッドサイドで付き添っている時に
本人が少しでも顔をしかめることがあれば、職員を呼んで「薬を投与してほしい」と
私が日本の病院に勤めていた頃、終末期の患者さんは 痰たん がひどく、吸引をするのは当たり前でした
痰が取れると呼吸は楽になりますが、吸引する時にせき込み、とても苦しんでいました
一方、スウェーデンの病院では
高齢期疾患科に勤めていた7年間に痰の吸引をしたことは一度もありません
高齢者施設に移ってからも吸引をしたことはありません
なぜなら、痰がほとんど出ないからです
時々、心臓の働きが悪く、肺に水がたまる患者さんがいますが
点滴や経管栄養をしないために脱水になります
2、3日もすると静かな呼吸になります
スウェーデンでは、終末期の患者さんの呼吸がとても穏やかなことに驚きました

日本では、終末期であっても点滴や経管栄養をします
体に余分な水分を入れるため痰が多くなったり、肺に水がたまったりして、患者さんに苦痛を引き起こしていたことに気づきました
また、こちらでは終末期に血圧測定、心電図モニター装着、血液検査などは一切行いません
それらの情報があっても治療するわけではなく
患者さんは測定のために苦痛を感じるだけだからです
日本では当たり前のことが行われず初めは不安でした
しかし緩和ケアでは、数値や心電図の波形からではなく
本人の様子を見て状態を知り、必要なケアを行うことを学びました
死期が近くなると、日中も眠ることが多くなります
痛みが出なければ、背もたれを倒せるゆったりとした車いすに座ってもらい、快適に過ごせるように工夫します
食事や水分が取れなくなっても、胃ろうを造ることや、点滴をすることはありません
体の働きが止まっていく段階では、水分を投与しても体はそれを活用できないからです
食事は、本人が食べたいもの、飲みたいものを望む分だけ介助します
無理強いしません

終末期の食事の目的は栄養を取ることではなく、味を楽しむことだからです
甘いものが好きな人には、アイスクリームやチョコレートを口にいれます
飲み込みが悪い人には、好きな飲み物をスポンジに浸して舌の上に載せます
食べる雰囲気も大切です
夏はさわやかな空気を感じられる窓辺や庭
12月はクリスマスの音楽が聞こえる部屋など、本人の好む場所を用意します

家族を支えることも大事なケアの一つです
私がスウェーデンらしいと思ったのは、スタッフがコーヒーとクッキーを持って家族の所へ行き、座ってゆっくりと話をしていたこと
お茶を飲みながら話を聞くことで、家族が何を求めているのかを知り、より良い関係が作れます
本人の人生について語ることができた家族の多くは亡くなった1か月後の遺族ケアで
「悲しみだけではない、意味のある時間を送れた」と

緩和ケアだけで最期の時を待つことは、本人と家族にとり簡単なことではありません
しかしスウェーデンの介護施設や病院では職員皆が、本人中心の緩和ケアが良いと考えています
そのた、本人も家族も納得して満足して、最期の時が迎えられます

宮本礼子 内科医
我が国も60年ぐらい前までは、高齢者は自宅で穏やかに亡くなっていました
生まれることと死ぬことは自然なことなので、寿命に 抗あらが わず、余計な医療を行わなければ、穏やかに死んでいくことができます
私の患者さんで、経管栄養や点滴をしないで、食べるだけ飲めるだけで眠るように亡くなった方を紹介します
亡くなる4か月前から食欲がなくなり食べる量が減りました
息子さんに人工栄養(点滴、 鼻腔びくう や胃ろうからの経管栄養)を望むかどうかを聞いたところ
「自分はいつまでも生きていてほしいけれど、母は延命されることを望まないので、延命はあきらめます」
そのため、食べるだけ飲めるだけとしました
亡くなる1か月前から食事は数口になり、2週間前には少量のお茶だけになりました
4日前には「食事はいりません、温かいお茶が飲みたいです」と言い
2日前は「ごめんね、お茶はほしくないのよ」とお茶も飲まなくなりました
前日は「ありがとう。そばにいる? いてくださいね」と言い
当日は家族がまもなく来ることを伝えると、うっすら目を開けて
「あ~、そうかい」と言い、8時間後に眠るように亡くなりました

延命されている期間が長いと、昏睡状態になります
一方、食べるだけ、飲めるだけの自然な死では、別れを言える人がいます
90代のあるアルツハイマー病の女性は、お嫁さんに初めて
「ありがとう。世話になった」と言って亡くなりました
人は全く飲食をしなくなると2週間以内に亡くなります
そのため極端にやせることもなく、自然な姿で亡くなります
看護師はご遺体が美しいと言います
余計な点滴や経管栄養をしないので肺炎などを起こさず、熱も出ず、痰も出ません

眠るように亡くなった人の姿を見ると、これが本来の死の姿であることに気づきます
ある家族は
「自分も将来、このように亡くなりたい」
「こんなに安らかに死なせていただき、何とお礼を言えばよいのかわかりません」

ある看護師
「今まで、通常の量の点滴をして亡くなった患者さんは、皆苦しそうだったけれど
食べるだけ飲めるだけで点滴を行わない患者さんは、どの人も死に向かって穏やかになっていった
こんなに穏やかな死は見たことがない」と驚いていました

別の看護師
「私は若いころ、病院という所は何か治療をしなければいけない所だと思っていた
だから何もしない患者がいると、どうして退院しないのだろうと納得がいかなかった
しかし今は、治療をしないで穏やかに看取ってあげるのも私たちの仕事だと思えるようになった」

おなかがすいたり、のどが渇いたりして、苦しまないだろうか
と心配する家族がいます。
しかし亡くなる人には栄養も水分も必要ないので、おなかもすかず、のども渇かないのです
終末期の患者にとり、脱水や低栄養はむしろ良いことです
なぜかというと脱水や低栄養になると、脳内麻薬であるβエンドルフィンや血中のケトン体が増加します
血中のケトン体は、栄養源として自分自身の脂肪が使われることで増加します
そのため意識が 朦朧もうろう として気分が良くなるのです
終末期に点滴や経管栄養を行うと、このような恩恵が受けられません
枯れるように死んでいけば、楽に死ねるように私たちは創られているのです

20年ほど前にスウェーデンに行った時
高齢者は延命されないで穏やかに亡くなっていることを知り、心底驚きました
その当時の日本では延命は当たり前で、穏やかに最期を迎えている人はいなかったからです
しかし、この20年で日本もスウェーデンのように介護施設で延命されずに、安らかに看取られる高齢者が増えてきました
その数は12%(※)とまだ少ないですが20年前は極めてまれだったことを思うと、隔世の感があります
高齢化が進み延命を望まない人が増え、訪問診療医が自宅や介護施設で延命せずに看取ってくれるようになったからだと思います
人はいつか必ず死にます。その時、穏やかに亡くなっていきたいものです
(※)全死亡者に対する割合のため、高齢者に限ればさらに多くなると思われる

 仏教に目覚めて死の恐怖を克服… 宗教を取り入れた終末期医療施設
「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧~」
お坊さんと患者がともに唱えるお経が響く
ここは新潟県長岡市にある長岡西病院のビハーラ病棟
仏教を取り入れた看護を実践する終末期医療施設
病棟長の今井洋介医師
「患者さんは高齢で末期のがんを患っている方がほとんどです
ビハーラとホスピスの違いは、病棟内の仏堂で朝晩2回行われるお経と法話からなる勤行など、日々の暮らしの中に仏教が息づいていることです
西洋医学が発達していくなかで
日本的な終末期のケアや看取りが失われているのではないか
というのが出発点でした
かつてはお坊さんが死者を看取ったり、お経を唱えて患者の苦痛を和らげていたりした時代があったわけです
しかし医学の発達で、そうしたものが医療現場から損なわれてしまった
これを見直すことが必要だと'80年代に勉強会が始まり、ここが実践の場となっています」
死を間近にして宗教と向き合う
日本人に多い無信仰の人にとって、違和感はないのだろうか
「不思議なくらい抵抗はないんです
。朝晩の勤行がいい生活のリズムをもたらすんです
腹の底から声を出してお経を唱えることも、お坊さんの読経を聞くことも
患者さんにとっていい
もちろん、それで病気がよくなることはないかもしれませんが、お坊さんの話を聞くことで、気持ちが軽くなることもある
我々医者は
患者さんの症状を定量化して、どういう治療が必要なのかをジャッジするのが仕事です
一方、お坊さんは、そういうことをしない
患者さんに起こっている、ありのままを受け入れて、その場を少しでも幸せにするためにお話をしてくれ
本当にここに来てよかったという声はよく聞きますね」

死は誰にでも平等に訪れる
自身の人生経験から死の恐怖を乗り越えられる人もいるだろうが、多くの人はそんなに強くはない
そこに宗教の存在意義がある

自らも仏教の教えによって終末期の患者を支える活動に従事する仏教学者で、仁愛大学学長の田代俊孝氏が
「仏教というのは、無常や無我を説く哲学です
すべては移り変わっていくものであり(無常)、人は自らの力で生きるのではなく(無我)、環境や周囲の関係性(縁起)によって生かされていると教えてくれます
そのことに気づくことができれば救いとなります
生も死も自分でコントロールできるものではないとわかれば
あたふた悩んだり苦しんだりすることはなくなります
仏教に目覚めて死の恐怖を克服した人に、私は何人も出会いました」

'11年の東日本大震災がきっかけとなり、宗派を超えて終末期患者に向き合う臨床宗教師という専門資格も生まれ
同資格を持つ法永寺(青森県五所川原市)住職の小山田和正氏
「臨床宗教師は説法をするわけではなく、患者さんに話をしてもらうことが重要です
患者さんは、医者や看護師、介護士と話すことがあっても、それは主に病気や介護について
また、家族や友人と話すことがあっても、悩みについては打ち明けられないこともあるでしょう
しかし宗教者を前にすると、医師や家族には話せない悩みを打ち明けようと思ってもらえることがあるのです
死期が迫った不安や悩みを家族や医療従事者にぶつけることは難しい
そういう人に寄り添えるのが宗教であり、臨床宗教師はそういう存在だと思っています」
無論、臨床宗教師が問題を解決するわけではない
小山田氏も答えられない問いに直面したこともある
「終末期の方と向き合い始めた当初、『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』と問われました
そのとき、私は話をそらして逃げてしまいました
今もその答えはわかりません
ただ、答えられないものは答えなくても構わないと今では思っています
患者さんと向き合って、答えの出ない問いに寄り添うことで
当人にとってほんの数パーセントでも死の苦しみを和らげられたかもしれない
行き場のない気持ちを落ち着かせることができるかもしれない
それが宗教の役割ですので悩んでいる人は臨床宗教師と接してみるのもいいかもしれません」

介護の現場で働いた経験もある淑徳大学教授の結城康博氏は、カトリック信者
信仰が末期の苦しみを和らげる現場を何度も見てきたという
「理不尽な痛みや苦しみも、『これは神の国に行くためのプロセスで、神の試練だ』と納得し、晴れやかな顔をされた患者さんを見てきました
そういう場面を見ると、信仰も悪くないと思います
私自身は1~2ヵ月に一度くらいしか教会に行かない信者で
神の国があるのか半信半疑なところもあるのですが
人間死んだら終わり、という考えはなんだか面白くないじゃないですか
神の国があるかもしれない、と思うだけで、やはり希望になる
それが宗教のよさだと私は思います」

宗教とは人類が培ってきた「死を乗り越えるための知恵」なのかもしれない

もう一つ
最期が近くなった高齢者には「何もしない」ほうがいい
高齢の患者が死を迎えるとき家族は何ができるのか
認知症の専門医である長谷川嘉哉さん
「もう医療にできることはない段階なら、最期は病院に運ばずに自宅や施設で静かに見送るのがいいでしょう」

長谷川先生:「最期が近くなった高齢の患者さんは、食べられなくなる」
と言うと、たいていの方は
「そうだよな。それって当たり前だよな」とわかります
でも、やっぱり自分の大切な人が死ぬとなると、冷静ではいられなくなるんでしょうね
「なんとか食べさせられないか」と躍起になるご家族も少なくありません

編集T:わかる気がします。僕もいざとなったら、親に食べてもらうために頑張っちゃうかもしれません……

長谷川先生:気持ちはわかりますけどね
でも、私はこの段階になったら
「最期が近づいてきたようです
自然な形で逝かせてあげるのが、本人がいちばん苦しくないと思いますから
周りは余計なことをせず、静かにお見送りしませんか?」とご家族に提案します
介護生活は長期間ですから、こうなるもっと前の段階で、すでにそういう話し合いはしているんですけど
最後に改めて確認するわけですね
すると、たいていのご家族は
「そうですね。おだやかに逝かせてあげたいです」
と、そういうふうにおっしゃいます
ただ、そういうご家族でも、患者さんが水も飲めない段階になってくると
「食べられないのはともかく、飲めないのはのどが渇いてつらそうだから、せめて点滴ぐらいしてあげたほうが、本人がラクなんじゃないですか?」
と言うことがあって

編集T:むちゃくちゃ、わかります! だって、のど乾くの、つらいじゃないですか

長谷川先生:ところが、ヒトって脱水状態が続くと
脳内にモルヒネ様物質が分泌されるそうなんで
。モルヒネって、終末期のがん患者さんの痛みを緩和するために処方されるやつですね
脱水状態が続くと、これに似た物質が脳内で分泌されて、フワフワとした幸せな気持ちになるといわれています
だから、健康な人が思うほど、苦しくないみたいなんですね

編集T:ホ、ホントにそうなんですか?

長谷川先生:私もまだその段階を経験したことがないのでわからないのですが
医学的にはそうだといわれています
そんな心地のいい状態にいるのに点滴の針を刺すと
その痛みで患者さんの意識は苦しいだけの肉体に戻ってきてしまうんですよ
それに、飲めなくなった段階というのは、身体が水分を処理できなくなった段階です
ここで点滴をすると、余分な水分が身体に溜まり、やがて肺も水びたしになります
すると患者さんは常に溺れているような状態になるので、ものすごく苦しいです
余分な水分のせいで痰も出やすくなって、むせやすくなるし
結局のところ、この期に及んでする点滴って、患者さんにとっては苦痛でしかないんです
それなのに……あなたの「点滴をしてあげたい」という満足感のために、患者さんを苦しめてもいいですか?

編集T:……わかりました。でも、見てるだけってつらいです

長谷川先生:それなら、濡れたガーゼで唇を軽く湿らせたり、小さな氷の欠片などを口に含ませてあげたりするといいでしょう
そもそも、のどの渇きは点滴では癒せませんからね
何かしてあげるのであれば昔の人がやっていたように
患者さんのそのときの身体の状態にふさわしい、自然なケアをしてあげてください
おじいちゃんやおばあちゃんが食べることも飲むこともできなくなったら、いよいよ最期は近いです
この段階で、胃ろうも中心静脈栄養も点滴もしなければ
早ければ数週間程度でお亡くなりになると思います
この段階で患者さんが介護施設に入っているなら
危篤の際は施設の協力医が「
ここ数週間が峠です」みたいなことを教えてくれると思います
自宅介護をしていて、在宅医に診てもらっている場合もそうですね
「そろそろ最期が近いようです」と往診の際に教えてくれるでしょう
続いてご家族は、医師に聞かれると思います。「ここから、どうなさいますか?」

編集T:そのまま何もせずに看取るか、病院へ搬送するか。どっちか決めてください、ということですね

長谷川先生:そういうことです
私は、高齢で肉体の寿命がほとんど尽きていて、そのせいでそろそろ亡くなるということがわかっている段階であれば
余計な医療を施さずに、自然なカタチでお見送りするのがいちばんいいと思っています
それが、患者さんのおだやかな死に繋がるからです
だから、医師が
「もう医療にできることはないので、静かにお見送りしませんか」
と言っているのであれば、危篤の際に病院に搬送する必要もないと思うんですね
そうそう。そもそも病院に行くということは、治療を受けるということで
治療をしないという選択肢はないんですね
それで点滴とかされてしまうわけですが
終末期の方に点滴をしても鎮痛目的でもない限り、いいことはないわけですよ
でも、施設や自宅なら
医療的な処置を何もしないで、静かに見送ることが許される
だから最期は病院に運ばないほうがいいと思うんです
でも、やっぱり中には
「最後に一度、病院で診てもらったほうがいいんじゃないか」
とおっしゃるご家族も少なからずいます
「世間体があるから、一度は病院へ」
そういう場合、私はあえて患者さんを病院にお送りすることもあります

編集T:なんでそんなことを……。

長谷川先生:そうすることで、わかってもらえることがあるからです
実際、老衰の高齢者さんに施せる医療はほとんどないので
病院に入院しても、医療スタッフは思ったほど優しくしてくれません
ときどき体温を測りにきたり、点滴を打ちにきたりする程度です。それ以上できること、ありませんから

編集T:それを見てご家族はようやく、「もう静かに見送るしかないんだな」と実感する

長谷川先生:そうなんです。でも、それはそれで、切ないでしょう?
ですから、患者さんを病院に送って、わざわざそんな切ない想いをする前に
「自然な終わり」を受け入れたいものです

・・・親族には
延命治療はしないで・・・
病気が治る見込みがないなら
いわゆる管はツなぐな・・・
人工呼吸器はヤめて・・・
と言われてる
ご希望には沿いたいが・・・

自分も、そう思う
遺書にでも書くか・・・

なんか
医療費削減を渇望する
お国の意向に沿うようで
腹も立つが・・・

今日は~
メスグロヒョウモンの♂
放蝶で
はっきり言って
ツマグロヒョウモンの♂と区別が・・・
よく調べれば・・・そこまでの力がない
なぜメスグロヒョウモンとしたのかは
後ほど・・・